7回目にして初めてジーンとしました。
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このドラマへの没入感を阻害する響(芦田愛菜)の存在について、改めて思うことを。
芦田愛菜という役者は、「最高の教師」の鵜久森のように、"優等生でクラスメートからいじめを受ける”というようなわかりやすい設定の時にはハマるけれど、今回の「響」のように、うちに秘めた複雑さ、音楽(父)と近づきたいのに近づけないジレンマを抱えた役は難しいのでは?と。
別の役者だったら、また違う感想だったのかも知れなません。ミスキャスト感が否めないのです。清原伽耶だったらどうだったかな?と考えてしまいます。
曲紹介のナレーションも響じゃなく、家族全体を俯瞰的に見ている弟の空の方がよかったのではないかと。響だと役柄とナレーションのトーンのギャップが大きすぎて、違和感がすごいことになってしまうので、この辺も感情移入を阻害する要因の一つではないかと思っています。
ひょっとして最終回あたりに、大感動!父と娘の協奏曲!パチパチ!みたいな大逆転を予定しているのかも知れませんが。そのギャップを作るために、あえて響は「いやな子」という設定にしていたりして。(最大限の譲歩)
と今回もいろいろ書いてきましたが、谷崎天音(當真あみ)や小村二朗(西田敏行)のエピソードはよかったですね。このドラマを見て7回目にして、初めてジーンとしました。
谷崎天音(當真あみ)のエピソード
父親に音楽を反対され、姉や母親には無きものにされるという複雑な家庭で育った背景が語られました。この子が主人公でもよかったのでは?と思うほど。
父である晴見市長(反・晴見フィルの筆頭)は婿養子で、選挙用に別の苗字を使っていることも判明しました。
泣きながら、夏目家に借りていた楽器と楽譜を返しに来た場面ではこちらも泣きそうに…。このドラマを見始めて、初めてジーンとした場面でした。
ただ、「天音」という名前は音楽を感じさせるんですよね。どこかでまたその辺りに触れる回があるかも知れません。
小村二朗(西田敏行)のエピソード
人生初のリサイタルを目前にして、倒れてしまうという残念な展開に。すごい数の楽器を経験しているちょっとレアな設定に若干引いてしまいましたが、最後に病院でクラリネットを奏でたシーンはよかったですね。団員が要所要所で、演奏しながらフォローしたのもよかったです。
ただし、病院のスペースでいきなりコンサートが開けるという現実離れした展開はどうなんだろうと思わないでもないのですが…。
「音楽に片思い」←名言ですね。
↓次回は、私の苦手な暴力シーンがありそうです。
NEXT WEEK▶︎▶︎▶︎▶︎#さよならマエストロ
— 【公式】さよならマエストロ~父と私のアパッシオナート~《日曜劇場》 (@maestro_tbs) 2024年2月25日
\第❽話/
マエストロ、
30年ぶりに父に会う⚾️#アパッシオナート pic.twitter.com/I8MZDTyQPZ